Manoa Ali'i (Royal Vast) 2011
size:124 x 82 (inch)
ハワイのランドマークであるワイキキビーチとダイヤモンドヘッドのモチーフは、このエリアの百年以上前の未開の原景を思い描いた2005年の作品の改訂です。
また、この作品は2006年、ラスベガスに於ける "Photoshop World Las Vegas, 2006" にて、「グル・アワード」を受賞した思い出深い作品でもあります。
私は、この作品を、皆様とともに3月11日を経験する事により、今本当に必要とされるべく何かを感じ取る事ができた世界中の全ての人々と思いを共有したいがために、再びコンピューター上に読み込み、いくつかの変更を付け加え、"Manoa Ali'i 2011" として再構築致しました。
最初に、聖書巻末にある「ヤコブによる手記 4章13節〜17節」をこの機会に熟読されて下さい。
さあ、「今日か明日、わたしたちはこの都市に旅してそこで一年過ごし、商売をしてもうけることにしよう」と言う人たちよ、あなた方は、あす自分の命がどうなるかも知らないのです。
あなた方は、少しのあいだ現われては消えてゆく霧のようなものだからです。
むしろ、「もし神のご意志であれば、わたしたちは生きていて、これを、あるいは、あれをすることでしょう」と言うべきです。
しかし今、あなた方は独り善がりの自慢を誇りとしています。そのような誇りはすべてよこしまなものです。
したがって、正しいことをどのように行なうかを知っていながら行なわないなら、それはその人にとって罪なのです。
その昔、ワイキキは、Ko'olau 山脈から流れる、Moleka、Manoa、Palolo の3つの川の流域が交差する、広大な湿地帯でした。
それは、Waikiki のハワイ語の意味、「水の吹き出る、池、沼地」からも察する事ができるとおりです。
また、クウラウ山脈のエヴァ・サイドからマノアまでのエリアは、ハワイ語で Manoa Ali'i と呼ばれておりました。
"Manoa Ali'i (Royal Vast)" の、Manoa とは、マノアの川の流域の事で、ハワイ語での意味は、「広大な」と言う意味があります。
また、Ali'i は、「王権や、支配権」を意味致しておりますので、Manoa Ali'i のハワイ語の意味は、『神の支配権が宿る広大な土地』です。
『神の支配権が宿る広大な土地』は、100年前からもスウィミングに適した美しいビーチでしたが、踏み入れるには困難を要する秘境の地でした。
しかし、1910年代、アメリカ軍は、Duck Pond と呼ばれていたこの荒漠たる湿地帯の開発に目をつけ、アメリカ防衛のアジア最前線として、大規模な砲台基地を作る事を計画し、このエリアを買い取りました。
1921年から、1924年までの間は、アラワイ運河の建設工期ですが、完成と共に、入り乱れて流れ込んでいた河川が、一本にまとめられ、現在のワイキキのような乾いた土地が完成し、その後、1950年代まで、アメリカの太平洋最前線基地の砲台施設としての醜い目的のために使われ続けました。
しかし、わずか50年で時代は大きく変わり、長距離弾道ミサイル技術に伴った核の時代を迎える事により、砲台施設も無用と化した為、1950年代を境に、観光産業と連携した再開発が始まり、砲台も核兵器に取って代わり芝が敷き詰められたフォーデルシー公園として整備され、その周辺ではホテルの建設ラッシュが始まりました。
このストーリーこそが、世界有数のリゾート、ワイキキの、わずか百年間の歴史です。
私は、今、一見平和に見えるこの地に立って、乱暴な人間が醜いものを醜い目的で建造する以前の無垢のワイキキの姿を想像せずにはいられなくなり、この作品を作るパワーを与えられました。
現在そこには、米国の軍と観光産業の支配権の両方が共存しますが、かつては、ハワイの王朝の支配もあったでしょうし、更には、ハワイ固有の伝説の中に見られる支配権も存在したかもしれません。
これらは、全て、時代とともに現れては衰退して行く乱暴者の支配権の歴史です。
ほんの小さな面積のオアフ島の上空を無数の雲が記憶される事なく通り過ぎて行く様は、一度たりとして同じく留まる事を知れず、ほんの一瞬の出来事であるが如くの人に依る支配権の繁栄と衰退の経過のようでもあります。
しかし、この作品の持つべき目的のように、私たちが歴史をさかのぼり無垢な視点を取り戻すなら、人間の時間と空間の感覚を超越したスケールで、私たちの記憶や将来の全てをカバーするような、この星の全てに働き続けている無限のパワーと美の支配権の存在を改めて見出す事ができるのです。
太古のワイキキビーチとダイヤモンドヘッド、ここは、ハワイのランドマークであるに相応しく、永劫の支配権の存在が非常に分かりやすく如実に見えてくるエリアです。
そして、地を破滅に至らせている、少しのあいだ現われては消えてゆく雲や霧のような偽りの権威は、この真の支配権の存在を認めざるを得ず、言い訳すらできないのです。
ローマ人への手紙1章18節から23節には以下のようにあります。
神の憤りは、不義な方法で真理を覆い隠している人々のあらゆる不敬虔と不義とに対して、天から表わし示されているのです。
神について知りうる事柄は彼らの間で明らかだからであり、神がそれを明らかにされたのです。
というのは、[神]の見えない[特質]、すなわち、そのとこしえの力と神性とは、造られた物を通して認められるので、世界の創造以来明らかに見えるからであり、それゆえに彼らは言い訳ができません。
彼らは、神を知りながら、それに神としての栄光を付さず、また感謝せず、その推論するところにおいて無能な者となり、その悟りの悪い心は暗くなったのです。
自分は賢いと唱えながら、彼らは愚かとなり、 不朽の神の栄光を、朽ちる人間の、また鳥や四つ足の生き物やはうものの像のようなものに変えました。
人にとって、破壊する事は容易であっても、環境を美しく管理する事すら容易ではありませんし、ましてや、造り出す事などは何もできておりません。
正に原子核物理学と言う技術とその上に成り立つ産業構造がその代表であり、放射性崩壊によってそれ自身が勝手に核種などを変えてゆく過程を利用した破壊行為に過ぎません。
一度破壊された物を復元する事ができ、また、自然界の力を制御する力を持っているのは真の創造主だけです。
雲や霧は過ぎ去り、そして忘れ去られますが、真の創造主は、環境が破壊される前の本来の目的に即したこの星の設計プランを確実に記憶されており、いつでも望まれる時に復元可能な力を有する真の統治能力を持ち合わせております。
以下をご覧下さい。
・・・・・・[イエス]が舟に乗られると、弟子たちはそのあとに従った。ところが、見よ、大きな動揺が海に生じ、舟は波をかぶるのであった。・・・・・それから[イエス]が起き上がって風と海を叱りつけると、大なぎになった。 それで人々はすっかり驚き、「これはどういう方なのだろう、風や海さえ従うとは」と言った。(マタイ 8章23節〜27節)
震災後の私たちは今、家族愛、友情などの自然の情愛を再確認し、その重要性を改めて愛おしいものと感じるチャンスが与えられました。
また、人と言う被造物に与えられた分相応の立場を謙虚にわきまえ知る必要性も同時に学ばされました。
また、創造主を知る事に始まり、この美しい星全体が『神の支配権が宿る広大な土地』である事を知る大きなチャンスの時を迎えました。
このように、私たちは大きな試練に直面する度に、これらの事を目に見える形で学び、実際に行動する大きな動機付けが与えられているのです。
従いまして、今私たちは、この星の残された愛おしい美しさを今後更に一層美しく際立たせるために心と思いと肉体を込めて尽力すべき、人間本来の存在目的を再認知すべき時である事を改めて学ばされたのです。
正しいことをどのように行なうかを知っていながら行なわないなら、それはその人にとって罪なのです。(ヤコブによる手記 4章17節)
December '11
そしてわたしは必ずわたしを大いなるものとし、わたしを神聖なものとし、多くの国々の民の目の前でわたしを知らせるであろう。そして彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなくなる』。(エゼキエル 38章23節)