Manoa Ali'i
size:124 x 82 (inch)
ハワイのランドマークであるワイキキビーチとダイヤモンドヘッドのモチーフは、このエリアの百年以上前の未開の原景をメディテイトした作品です。
私は、この作品を、「ハワイこそ、私の生涯の永遠のテーマである」と語る、濱田 翼氏と、彼の会社、株式会社タスクプラニングにデディケート致します。
その昔、ワイキキは、Ko'olau 山脈から流れる、Moleka、Manoa、Paloloの3つの川の流域が交差する、広大な湿地帯でした。
それは、Waikiki のハワイ語の意味、「水の吹き出る、池、沼地」からも察する事ができるとおりです。
また、クウラウ山脈のエヴァ・サイドからマノアまでのエリアは、ハワイ語でManoa Ali’iと呼ばれておりました。
"Manoa Ali'i (Royal Vast)" の、Manoaとは、マノアの川の流域の事で、ハワイ語での意味は、「広大な」と言う意味があります。
また、Ali'i は、「王権や、支配権」を意味致しておりますので、Manoa Ali’i のハワイ語の意味は、『神の支配権が宿る広大な土地』です。
しかし、1910年代、アメリカ軍は、ダッグポンドと呼ばれていたこの土地の開発に目をつけ、アメリカ防衛のアジア最前線として、大規模な砲台基地を作る事を計画し、このエリアの全て買い取りました。
1921年から、1924年までの間は、アラワイ運河の建設工期ですが、完成と共に、入り乱れて流れ込んでいた河川が、一本にまとめられ、現在のワイキキのような乾いた土地が完成し、その後、1950年代まで、アメリカの太平洋最前線基地の砲台施設として使われ続けました。
しかし、わずか50年で時代は大きく変わり、長距離弾道弾ですとか、核の時代を迎える事により、砲台施設も無用の物と化した為、1950年代を境に、観光産業の拠点とする再開発が始まり、砲台も、フォーデルシー公園として整備され、その周辺ではホテルの建設ラッシュが始まりました。
このストーリーこそが、世界有数のリゾート・ワイキキの、わずか百年間の歴史です。
私は、今、ここに立って、人間が醜いものを醜い目的で建造する以前のワイキキの姿を想像せずにはいられなくなり、この作品を作るパワーを与えられました。
現在そこには、米国の軍と観光産業の支配権の両方が存在致しますが、かつては、ハワイの王朝の支配もあったでしょうし、更には、ハワイ固有の伝説の中に見られる支配権も存在したかもしれません。
これらは、全て、時代とともに現れては衰退して行く人間の作り上げた支配権です。
しかし、このように、私たちが古代の視点を持つなら、私たちの記憶や将来の全てをカバーするような、この星の全てに共通する無限のパワーと美の支配権の存在を改めて見出す事ができるのです。
太古のワイキキビーチとダイヤモンドヘッド、ここは、ハワイのランドマークであるに足る、永劫の支配権の存在が如実に見えてくるエリアです。