クアモオ・ロードとも呼ばれるカウアイ島の国道580号線を入り、1.5 miles (2.4 km) の地点に、オパエカア滝の駐車場と眺望ポイントがあります。
国道580号線はハイウェイから、ワイルア川に浸食されたクアモオ山の尾根上に延びています。
この尾根の道を挟んで右側にはオパエカアの滝が見え、左側にはワイルア渓谷と禁断の山と言う意味のあるマウナ・カプ山が見えますが、道を横断しない限り、両サイドの景色を同じ視野で見る事はできません。
そして、ちょうどこの地点には、古代の人が溶岩を積み重ねて築いたポリアフ・ヘイアウと言う聖域跡があります。
ここからワイルア渓谷を眺めるなら、マウナ・カプ山と川に挟まれた空間が気になるのですが、その昔は古代の人々メネフネによって作られた養魚池があったように私には見えるので、作品中ではこれを再現致しました。
これらの事を左右に見渡す事ができる尾根の頂点に、古代の人が何故ヘイアウを築いたのか非常に興味が湧きます。
私は過去に数回ここを訪れましたが、いつも必ず、モキと言う不思議な画家と会話をするのが楽しみでした。
行くと彼は必ずそこにおり、滝の絵を描いておりました。彼はこの滝の主題の絵しか描こうとしないプロの専業画家です。
その名は、 Moki o Kaua‘i と言います。
道路を挟んで行き来する私たちは、左右の両方の風景を何らかのプリズムのようなものを通して同時に同じ視野で見たいと言う不思議な願望に駆られるものです。
多分、この場所に毎日立って、あたかもこの地の主のようでもあったモキですらこのような願望をもっていたに違いありません。
また、古代の人も同じ思いにより、この尾根の頂上にヘイアウを建造したのかもしれません。
このヘイアウは、そんな古代の人々の願望の現れに違いないと私は察するのです。
そして時は過ぎて、モキは既にこの世にありません。
今、私は失われた友人である画家モキと同じ目の願望を持って、再びこの尾根に立っているのです。
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願望 [心] = 精神分析で,主に意識されていない欲望のこと。
臨界 Fission
臨界角 Critical angle
全反射 Total reflection
“The Critical Angle of All Our Eyes on Manifest Dreams Beyond”
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主は言われる、見よ、わたしは多くの漁夫を呼んできて、彼らをすなどらせ、また、そののち多くの猟師を呼んできて、もろもろの山、もろもろの丘、および岩の裂け目から彼らをかり出させる。
わたしの目は彼らのすべての道を見ているからである。みなわたしに隠れてはいない。またその悪はわたしの目に隠れることはない。
わたしはその悪とその罪の報いを二倍にする。彼らがその忌むべき偶像の死体をもって、わたしの地を汚し、その憎むべきものをもって、わたしの嗣業を満たしたからである」。(エレミヤ書 16章16-18/口語訳)
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イエスの死以後、神が私たちに与えてくださった最大の贈り物は「愛」ですが、それ以前から私たち全ての人間の個々の命の基本を成す部分では、賜物と尊厳であると言えるかもしれません。
人の創造以来、私たち一人一人に、神の像から穫られた固有の賜物を与えてくださり、私たち一人一人が自分で管理すべきものとして、その貴重な財産を任せて下さっております。
預けられている物であるにも関わらず、それを粗末に扱うことはこれを盗む行為に等しく、また単にその物質を搾取するのみならず、与えられた賜物である人格や尊厳をも否定し、更には、贈り主の神ご自身の存在をも否定する行為なのです。
ですから、人間の側からの罪の贖いとは、単に盗んだ物そのものを返上すれば良いと言う事ではなく、さらに同じ分を二倍にして返還することによって、私たちの命と尊厳が保たれるということなのです。
従って、モーセの律法にも書かれている「二倍の報復」というのは、神の当然の公平な裁きであると言えるのです。
もちろん私たちは、人の内面を顕にし、互いに人を裁くことはできません。
しかし、私たちは、神の創造の業を二倍の美しさをもって人の前に顕にし、神の賛美と栄光のために遣えることができるのではないかと考えます。
2007年に亡くなられたオパエカア滝をこよなく愛した画家 Moki o Kaua’i も同様の願望を持っていたと考えるのは自然な事ですが、神の被造物を人の手で作り変えるのは僭越なことと彼流の敬意から悟っていたかもしれません。
しかし、古代のハワイの人々はどうだったでしょうか。
彼らは、臆すことなく、神の創造の業の美しさを貪欲にも二倍に捉えて、その業の力と真実性を讃えたいと言う願望から、クアアモオの尾根の尾根の頂点にヘイアウ(聖域)を築きました。
今、その彼らの動機は、滝と渓谷の両方を彼らの視覚で同時にキャプチャーしたいと言う願望であったのではないかと洞察するのも、極自然な事であると思います。
私の "Pixel Painting" の意味するところは、実は、ここにあります。